BBB MAGAZINE

  • 藤原かんいち電動バイク世界一周

    2007.11.03 / Vol.36

    電動バイク世界一周の旅『 二つの聖地~バラナシとブッダ・ガヤ 』

CREDIT

VOL.36 『 二つの聖地~バラナシとブッダ・ガヤ 』[アジア大陸編]

藤原かんいちの冒険ツーリング

バラナシの風に吹かれて

プージャー
バラナシで見た「プージャー(礼拝)」。銅鑼と太鼓が激しく鳴り響く、炎が明々と舞い上げ、聖なる河ガンガーに祈りを捧げる

ヒンズー教徒が人口の80%を占めるインド。そのヒンズー教徒、その最大の聖地とされているのがバラナシ。

バラナシの町は日本の仲見世通りを思わせる小さな商店が犇いていた。その中を縫うように延びる狭い路地を、通行人を掻き分けながら「すみませーん」「通してくださーい」などと言いながらヨタヨタと進んでゆく。「日本人?」「おおっ、それは電動か?」「あははは、小さいバイクだな!」あちこちの店から陽気な声が飛んでくる。


牛
狭い裏路地を歩いていたら角を曲がってきた牛とバッタリ出くわした。インドではこんなことが珍しくない

狭い路地は牛のフンだらけ。少しでも目を離すと踏んでしまうので、いつもより何倍も気を使う。ようやく宿に到着すると、歩いてガンガー(ガンジス河)へ向かった。
賑やかな市場を抜けると、そこはガンガーだった。

水がゆったりと、全てを包み込むように流れている。ヒンズーの信仰によると、ガンガーで沐浴することで全ての罪が浄められ、遺灰がガンガーに流されることが最高の幸福だといわれている。ヒンズー教徒にとってガンガーはそれほど重要な場所なのだ。


沐浴するために作られたガート
ヒンズー教徒たちが沐浴するために作られたガート(階段状)が、ガンガーに沿っていくつも並んでいる

ところが実際の河は汚染が進んでおり、冷静に判断すると、とても入れる状態ではないらしい。そんなこともかまわずにヒンズー教徒たちは一心不乱に沐浴をしている。これも信じるものは救われる...なのか? 病気になりたくない僕たちは沐浴はせずに、船からガンガーを感じてみることにする。

河の上は、丘で繰り広げられている喧騒がウソのように静かだった。オールで水を掻く音が、何とも清清しく心にやさしく撫でるように響く。川風を頬に受けているヒロコも幸せそう、そんな表情を見ていると、ここを聖地とした気持ちが少しだけわかるような気がした。

もうひとつの聖地ブッダ・ガヤ

野菜売りの少年
野菜売りの少年、何歳ぐらいだろうか? インドは仕事をしてる子供が多く、こんな風景が普通に見られる

「うわぁぁぁぁ、なんだ、なんだぁ!!」
赤い袈裟を着た、ものすごい数の僧侶が道をゾロゾロ歩いて来る。それも頭を丸めたアジアの顔の人たちばかり。ここはどこ? インドじゃないのか? あっ、そうか、どうやらもうすぐブッダ・ガヤに着くらしい。

インド北部にあるブッタ・ガヤは仏陀が悟りを開いた地として知られ、世界各国から仏教徒が集ってくる。バラナシがヒンズー教徒の聖地なら、ブッダ・ガヤは仏教徒の聖地。実はこのふたつ、僅か300kmしか離れていない。


マハーボーディ寺院
ブッダ・ガヤの中心にあるのがマハーボーディ寺院。チベットの有名な僧侶が来ており、寺の周りはチベット人僧侶で詰め尽されていた

チベット、タイ、ブータン...と各仏教国が建てた寺院を訪ねて回ると、日本との違いに愕然とする。日本の寺院といえば、使っている色は白黒茶など、色数は最小限に抑えられ、シックなイメージがある。ところが外国の寺院は「ここはディズニーランドかぁ!?」と突っ込みを入れたくなるくらいカラフル、さらに壁にはブッタの歴史を立体で表現した模型まである寺院も。

同じ仏教寺院なのにここまで違うのか... 日本ではお寺をカラフルにするとイメージが軽くなってしまうが、どうやら外国では考え方がまったく違うようだ。最初のうちは違和感があったが、他国の寺院がカラフルなのでそのうち「これはこれで明るい気持ちになっていいなぁ」と思うようになった。それにしても、同じ仏教徒でも、国によってこれだけ表現方法が違うとは驚きだった。


ブッタが悟りを開いたとされる場所
ブッタが悟りを開いたとされる場所には、生命力溢れる菩提樹の木が天へ向かって大きく枝を広げていた

僕たちが訪れたときは丁度チベットの偉い僧侶が来ていて、ブッタ・ガヤの中心にあるマハーボーディ寺院は、説法を聞きにやって来たチベット人僧侶で溢れ返っていた。服をボロボロにして五体当地をしている人の中には、女性の姿もある。日本では見ることのない、仏教徒たちの仏に対するひたむきな姿は、こちらの胸が熱くなるほどだった。

コルカタで野宿寸前

3輪リキシャー
インドの風物とも言える3輪リキシャー。排気ガスの問題から4サイクルや天然ガス使用のリキシャーが増えている

インド第2の都市コルカタに入った時には、夜7時近くになっていた。
目当てにしていたサダルストリートの宿を訪ねると、満室で泊まれないと断れる。隣へ行くと、こっちも満室。今日は12月26日。クリスマスからニューイヤーまでのこの時期は観光シーズンで宿はどこも一杯らしい。僕たちの旅は今日どこまでいけるかわからないので、宿の予約ができないのが辛いところ。

次から次、ことごとく断られ、さすがに青くなる。これはまいった... 5軒以上も回って全部が満室だなんて、こんなこと初めてだ。このままだと野宿になるぞ~と冷汗を流しながら、探し回っていたところで、ひとりのインド人大学生と出会った。聞くと親戚が日本で働いているので日本に興味があるんだという。宿がなくて困っていることを話すと、「そんなに心配しなくて大丈夫だよ、ホテルくらいすぐに見つかるよ」と一緒に宿を探してくれることになった。


国民一番の娯楽が
国民一番の娯楽が"映画"というインド。派手な看板がいくつもかかっているので、映画館だとすぐにわかる

地元の人が一緒なら百人力!と安心したのも、つかの間。1軒目、2軒目、3軒目とふたりで当たってみるが...全滅。余裕の表情だった彼もさすがにあせり始める。さらに彼がお世話になっているという親戚の叔父さんやその友人たちまで加わり、コルカタの宿大捜索隊が出来上がった。

叔父さんのお陰でそれから3軒目にして、高くて汚いながらも空部屋が見つかった。急いで別の場所で待っているヒロコを連れホテルへ戻ってくると、一足違いで別の人に部屋を取られてしまった。何というタイミングの悪さ。こりゃ、ホントに野宿になるのか?


扉ひとつの小さな商店
扉ひとつの小さな商店が軒を並べるコルカタ。トイレットペーパーや洗剤などの日用品から野菜まで何でも揃う、まさにインド版のコンビニ

結局30軒以上回ったが、泊まれるホテルは見つからなかった。疲れ果てボロボロになり野宿を覚悟したところで、その様子を見るに見かねた叔父さんが、「私の家に空き部屋があるから泊まって行きなさい」と言ってくれた。まさに天の一言。結局、叔父さんに救われることになった。感謝、感謝。部屋に荷物を入れた時には、既に夜11時を過ぎていた。

長い一日だった... あのとき青年に会わなかったら、今頃僕たちはどうなっていたのか? 何時間も宿探しを手伝ってくれたみんなに感謝する。翌日会った町で会った時にビールをねだられたけど、それもご愛嬌。インド人の親切が身に染みた一日となった。


バニヤンの木
コルカタの"ボタニカル・ガーデン"にあるバニヤンの木は樹齢250歳。この大きさ...とてもじゃないが一本の木とは思えない

コルカタではもうひとつの出会いがあった。世界一といわれるバニヤンの樹だ。町から1時間以上かけて、ようやく目の前に現れたバニヤンは、枝の数2000本以上という、とてつもない樹だった。とても一本の樹とは思えない、大き過ぎてまるで林のよう。これまでに会った巨木とは一味違う、海のようにスケールの広い樹であった。

ダッカで大晦日

バングラデシュ国境へ向かう道沿い
コルカタからバングラデシュ国境へ向かう道沿いには、物凄い数の巨木が立っていた。こんな風景を見たことがない! まるで童話の世界のようだった

2ヶ月以上かけてインドを横断。インドを満喫した僕たちは、次なる国バングラデシュに入った。知っていることといえばモスリムの国で、人口密度が世界一ということくらい。日本では馴染みのない国だけに、どんな国なのか期待で一杯だ。

入国してまず驚いたのが、サイクル・リクシャー(自転車で人を運ぶ人力車)の数。道を埋め尽くすくらいたくさん走っているのだ。その代わり町を走っている車は極端に少ない。チリンチリン...響き渡るベルの音が、何とも哀愁。クラクションがうるさいインドから来ると、情緒的に感じる。


バングラデシュに入国
バングラデシュに入国した途端、サイクル・リキシャーが道を埋めつくす。特に田舎の町は車が少なく、まるでサイクル専用道路

だがそれも町を出ると一変。バスが物凄いスピードで暴走しているのだ。ルールなんてあったもんじゃない。中でもバス同士のバトルは過激。反対車線に出て追い越そうとしているのに、スピードを上げて追い越させないようにしている。おかげで2台が道一杯に並んで大暴走! そこに前からまた別の暴走バスがやってくるのだから、たまらない。

「ああっ、ぶつかる!」何度も叫んだことか。これまで訪ねた国で車の運転マナーの悪さと危険度は、間違いなくナンバー1だろう。
2007年大晦日。ダッカに到着。インターネットでダッカに日本人が経営するホテル(バングラデシュ・トラベル・ホームズ)があると知った僕たちは、大晦日の夜くらいは"紅白歌合戦"を観て日本気分を味わおうと目論んでいた。


みかんとバナナ
みかんを買うと手作り紙袋に入れられ、バナナは紐に吊るされる。これぞエコロジー。バングラデシュでは何と、スーパーの袋も布製だった

空港近くの静かな高級住宅地にある宿に着くと、小柄なバングラデシュ人の女の子がたどたどしい日本語で出迎えてくれた。ホテルというよりも、広々とした邸宅を宿として開放しているといった雰囲気だ。2階に上がると、居間にテレビを発見。スイッチを入れると衛星NHKが映り、日本語が流れてきた。
「おーっ、いいぞ、いいぞ!」

テレビの前にどんと座り、見る気満々で待ち構えるが、時間になっても別のニュース番組が流れている。きっと時差があるんだよね~ヒロコと苦笑い。が、待っても、待っても映らない。ウソだろーーっ! NHKなのに、どうして紅白を放送しないんだ!? 外国に住む日本人がどれだけ紅白を楽しみにしているのか、わかっているのか!(日本にいるときは格闘技を観ているんだけどね)。ダッカの夜空に、空しい叫び声が響くのであった。


バングラデシュトラベルホームズ
ダッカでお世話になったバングラデシュトラベルホームズ(旅行代理店・ゲストハウス)の面々。パワフルなオーナーの千鶴さんには元気をもらった

元旦。オーナーの千鶴さんがネパールから帰ってきた。明るい人で、宿は一気に賑やかになった。さらに元旦ということで、テーブルには豪華絢爛な日本食が所狭しと並び、人が集り大宴会となった。刺身、焼き魚、ちらし寿司、煮物、さつま揚げなどなど、とてもここがバングラデシュとは思えないご馳走が次々に出てくる。僕たちは久しぶりの日本食をここぞとばかりに狂ったように食べまくった。あ~大満足、最高の元旦でした。

食事もさることながら、集ったバングラデシュ人も面白かった。7、8人全員が日本へ行った経験がありみんな日本語がベラベラ。バングラデシュ人同士なのに会話は日本語、さらに漫才並にボケと突っ込みまで出てくる。その様子がおかしく笑い転げた。


バングラデシュのバス
バングラデシュのバス、トラックの無謀な暴走運転にはいつもハラハラさせられた。案の定、交通事故も多い

ダッカから再びインドへ向かう。国境の手前40kmの町ジェソールに入る。道は他の町と同じようにサイクルリキシャーだらけ。パッソルは自転車の間を縫うように進んでゆく。ふと気がつくと、後ろにヒロコの姿がなかった! おかしいなと思い、後をよく見ると一部に人だかりができている、まさか! 何とその中でマジェスティとヒロコが倒れているではないか! ぶつかったのか!? 僕は慌ててパッソルをUターンさせ、ヒロコの元へと駆け寄った...

現在地:バングラデシュ・ダッカ(2008年2月10日付)
パッソルの総走行距離:47,399km(アジアの走行距離:10,792km)
今回のルート:Varanasi→→Bodh gaya→→Calcutta→→Jessore→→Dhaka
訪問国数:40カ国
文/写真:藤原かんいち&ヒロコ

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