BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2021.08.11 / vol.96

    「バイクと旅した40年物語」~08~

CREDIT

    • ライター
    • 執筆

    藤原かんいち

    • 撮影

    藤原かんいち

  20歳のとき中型二輪免許を取得。今年60歳になるのでバイクとの付き合いは40年になる。4度の日本一周、2度の世界一周など、そのほとんどの旅を小さな原付バイクで実現してきた。バイクと旅は僕の世界を広げ、間違いなく僕の人生を豊かにしてくれた。
  これまでの旅が実現するまでのストーリーや思い出、実際のバイク旅での出来事、さらに40年間の世の中の変化など。僕の半生とバイク旅を年代と共に振り返りながら、『バイクと旅した40年物語』として語り綴っていきます。
オーストラリア一周の次に掲げた目標は、原付バイクによる世界一周。相棒は一番小さなバイクという理由からホンダのゴリラに決めた。覚悟はできた。28歳の藤原は、スタート地のパリへと旅立った。

第8回:真夏のサハラ砂漠に挑む

バイクを送った先はイギリスのロンドンだったが、その前に旅に慣れておきたいと思い、日本から自転車(MTB)を持参。パリからロンドンまで自転車で走ることを決めていた。自転車をパリの空港で組み立て走りだす。辺りはすでに暗い、しばらく走り、深夜12時すぎにホコリ臭い安ホテルに荷物を降ろした。

部屋の中に便器があったが排水溝が小さかったので、念のため共同トイレで用を済ませることにした。その後でそれが便器ではなくビデと知りビックリ、間違えて大をしなくて良かった(笑)。ヨーロッパの文化を感じた瞬間だった。6日走ってロンドンに到着。ユースホステルに宿泊、翌朝起きるとワイヤー錠で鉄柵に繋いでいた自転車が消えていた。宿の人も知らないという。まさかの盗難。自転車を売って資金にしようと思っていたのに... いきなりの不運だったが。旅に影響はないから大丈夫。自分がタフになっていることに気が付いた。

日本から送り出したゴリラを運送会社で受け取り。荷物は最小限にしたが、それでも小さなゴリラに載せると大きく感じた。走るとちょっとした段差でサスペンションが底付き、緩い登り坂でもすぐにスピードダウン。これに予備ガソリンや飲料水を載せたら、一体どうなるのだろう? 走りながら「これで世界一周ができたら奇跡かもしれない」と思った。

自宅に泊めてくれたイギリス人夫婦
自宅に泊めてくれたイギリス人夫婦

ロンドンからアフリカへ向かって走り出す。広い道の路肩をトコトコ走っていると、大型バイクが後ろから併走していることに気が付いた。バイクを止めると「ここは危ないから別の道へ行った方がいい」と教えてくれた。さらにその道まで先導してくれた。他の場所では中年夫婦に声をかけられた。
荷物満載のバイクに興味が湧いたようで旅のことを色々質問される。僕を気に入ってくれたのか家に招待したいという。家に入ると子供たち3人の写真が飾ってあり、ひとりは僕と同じ歳。ひとりは3年前にバイク事故で亡くしたという。バイク好きでレースにもよく参加していたらしく、壁にはレースシーンを撮影したパネルが大切そうに飾られていた。そのまま食事までご馳走になり、泊めてもらうことになった。どこの馬の骨ともわからない外国人にこんなに親切にしてくれるなんて、心から感謝した。

ヨーロッパのライダーもゴリラに興味津々
ヨーロッパのライダーもゴリラに興味津々

フェリーに乗ってフランスに渡る。出国入国はパスポートチェックだけ。あっけなく国境を越えた。パリに行くと大仕事、ビザ取得が待っている。アフリカはほとんどの国はビザが必要で、事前に取得しておかなければならない。ロンドンでアルジェリアを取得、パリではニジェールとマリのビザを取らなくてはならない。ニジェール大使館では辞書を片手に何とか申請用紙を埋めたが、最後に保険の証明書が必要だといわれる。これは困った。とりあえず日本で入った海外旅行保険を提示すると、すんなりOKが出た。ああよかった。翌日マリ大使館へ行くと、人でごった返していた。ほとんどが黒人なのでアフリカにいるような気分になった。用紙に書き込みパスポートと一緒に渡すと、一言「トゥモロー!」。半信半疑だったが、翌日ビザが発給。3ヶ国のビザは揃った。さあ、アフリカへ渡ろう!

フランス最大の港町、マルセイユ。フェリー乗り場へ行くと運よく明日アルジリア行きのフェリーがあるという。お金が足りないので銀行で両替。フェリー乗り場へ戻り、料金を確認すると、フェリーの行き先の港も時間も料金も全部違っていた。しかし、全部安くなったので、逆にラッキーだった。乗船時間に港へ行くと車が長蛇の列。迷っているとバイクは一番前にしてくれた。船はかなりのオンボロ船だが、僕には豪華客船以上に価値のある船に見えた。乗客のほとんどがアラブ人。トイレに紙はなく、水の入った瓶が置いてあった。どうやらこれで洗い流すらしい。異文化にワクワクする。

朝4時過ぎに、船内放送が流れる。何を言っているのかわからないが、みんな出発の支度を始めたので、アルジェに着くのだろう。デッキに出るとアフリカ大陸が近くに見えた。大慌てで荷物をまとめ、バイクへ向かう。誘導に従いついにアフリカ大陸に上陸した。イミグレーションによる入国チェック、車両に関する書類提出、パスポートチェック、さらに車両詳細を申請する用紙が渡される。フランス語でわからない上、書く項目が多い。頭を悩ませていると、ツーリストらしきドイツ人が英語で声をかけてくれた。アドバイスの通りに記入すると5分で書きあがった。ドイツ人3人組は車でサハラ砂漠を縦断して、ニアメーで中古車として売るという。これまで20回以上サハラを横断していると豪語。そういえば、昔読んだ本にそんな仕事をしているヨーロッパ人がいるって書いてあったな。最後に「グッドラック」と言い残し、去っていった。なんだかカッコイイ。

困っていた時に道を教えてくれたアルジェリア人
困っていた時に道を教えてくれたアルジェリア人

入国は結局3時間以上かかったので、自由に走れるようになったときは、天にも昇る気分だった。町に出ると走っている車はどれもオンボロ、信号機は全部消えていた。建物は傾き、道もガタガタ「これがアフリカかぁ...」と呟いた。道が分からず4~5人に尋ねようやく宿にたどり着いた。道を聞いても嫌な顔ひとつせず、一生懸命教えてくれるのが嬉しかった。翌日からひたすらアルジェリアを南下する。自動車専用道路なのに人は普通に歩いている。さらに木陰で人が寝転んでいたり、路肩にタバコ売りの少年がいたり、ロバに荷物を載せて歩く人がいたり、これまでとはまるで違う世界だった。バイクを止めると「どこから来た?」と声をかけてくる。笑いながら手をあげて挨拶してくれたり、コーラをおごってくれたり、とにかくアルジェリア人は温かかった。

景色はオーストラリアの砂漠地帯にとても似ていた。低いブッシュがどこまでも続いている。アルジェリア3日目。ラグアトの宿へ行くと、ひと癖のありそうな男がソファーにふんぞり返っていた。料金を聞くとベッドが25DA、バイクが10DAだという。持っていた外国製のガイドブックには20DAと書いてあるし、バイクの駐車料金なんて聞いたことがない。これは騙すつもりだなと直感。こういう時はハッキリ主張をしないと丸め込まれるので、ガイドブックを見せながら「ここに20DAってあるけど!? それにバイク料金なんて払わないぞ!」日本語でまくしたてた。するとすぐに「バレたか」という表情になり20DAに変更。バイク料金も不要になった。どこにでも悪い奴はいるのだ。

翌日。ついに砂嵐に見舞われた。砂がバチバチと顔に当たり目が開けられない。5月末、いまが最も暑く砂嵐が多い時期らしい。自分はとんでもない時に来てしまったようだ。ハッシフファヒという小さな町に着き、テントを張れそうな空地を探していると、地元の男が声をかけてくれた。空家がいくつかあるからそこに泊まればいいという。歩いていると子供が寄ってきて「家においで」と僕を手招いた。

ついて行くと小さな土壁の家で4,5人の男が静かにテレビを観ていた。お茶を飲んでいると次々に人がやって来て、10人くらいになった。言葉が通じないので、一体どういう関係かわからないが、助け合って生活していることはわかる。しばらくすると北アフリカ料理のクスクスが大きな洗面器にのって出てきた。みんなでひとつ皿をスプーンでつついて食べ始めた。これがアルジェリア式なのか? お前も食べろとスプーンを渡される。口に運ぶと予想以上においしかった。フランス語で「デリシャス」と笑うと、みんなも嬉しそうに頷いた。

アフリカ感たっぷりの看板
アフリカ感たっぷりの看板
サハラ砂漠の北部はまだ舗装道路があった
サハラ砂漠の北部はまだ舗装道路があった
これでも一応ガソリンスタンド兼食堂なのだ
これでも一応ガソリンスタンド兼食堂なのだ

アルジェを出て9日目。レガンに到着。ここから本格的なサハラ砂漠が始まる。次の給油地は650km先、国境のボルジュモクタールまでない。砂漠走行に備えてメインタンク9リットルを満タン、さらに予備ガソリン19リットルをゴリラに積み込んだ。これでどんなに悪路でも1000㎞は走れるだろう。さらに飲料水5リットルを車体に、さらに10リットルを背中のザックに詰め込んだ。これでいつもより30kg以上重くなった。走り出すとスピードが出ない上に、重さでバランスが崩れフラフラする。こんな状況で砂漠を走れるのか? いや、ここまで来たら行くしかない。自分ならできる!と自分に言い聞かせ、砂漠の海へと漕ぎ出した。

道らしきものはなくなり、目の前には静かな地平線と無数の轍が延びているだけ。コンパスで方角を確認しながら南へ進んで行く。ノロノロと10分走ったところでバイクを止めた。走っているだけで息が上がる。ザックを降ろし、水を一気に飲んだ。とにかくザックが重すぎる、支えるだけで体力を消耗する。深そうな砂地を避けながら進んで行くが、時々深い砂地にタイヤがハマり動かなくなる。バイクから降りてアクセルを全開にする。何とか脱出できた、水を飲んで再スタート。またスタック...そんなことを何度も繰り返しながら進んで行く。

これがサハラ砂漠縦断したときの全装備
これがサハラ砂漠縦断したときの全装備

暑さとザックの重さで走っているだけで息が苦しくなった。疲れ果て砂漠に大の字になった。結局初日は30㎞しか進むことができなかった。翌日から喉の渇きを抑えるため水に濡らしたバンダナをくわえながら走ることにする。少しずつ水分を吸いながら、進んで行く。やってみるとうまく行き、少しだけ楽になった。

数キロ毎に置かれているポストが唯一の道標。ポストを一つ一つクリヤするように前進する。昼間の暑さは殺人的で、体感的には巨大な電子レンジの中でチンされているような気分だった。日が高くなるとバイクを止めて、距離ポストとバイクにシートをかけて小さな日陰を作り、その下で体を休めた。温度計を見ると50度近い。まじか。1m四方の日陰で横になり、ひたすら時間が経つのを待った。

しばらくして体調がおかしいことに気が付いた。食欲がなく数日前からほとんど何も食べていない。その代わり水は1日7、8リットルも飲んでいる。このままでは水がなくなってしまう。おまけに頭がボーとしていて、立って歩くと体がフラフラした。体がだるくてたまらない。これはもしかして、熱中症か!?

このまま砂漠の真ん中にいたら、死ぬかもしれない。言葉にならない不安が押し寄せてくる。日が傾いたところで荷物をまとめる。情報として120㎞先に水補給ができるドライバー中継地があると聞いていた。そこまで行けば何とかなるはず。最後の力を振り絞り、走り出しす。フロントに積んだ10リットルのガソリンを使い切ると、少し車重が軽くなった。日が暮れたがそのまま走り続ける。ここでバイクを止めたら終わりだと、気持ちを奮い立たせる。どれくらい走り続けただろう、黒い地平線に光が見えてきた。やった、中継地だ。助かった。建物を見つけると中へ倒れ込んだ。水をかけられ、ミルクをもらった。「僕はいま生きている」心からそう思った。

周りには木も建物も人もいない。ここで数時間過ごした
周りには木も建物も人もいない。ここで数時間過ごした

中継地は物資などを積んでサハラ砂漠を縦断する車のための施設。360度の地平線の中にポツンと建物があり、駐在員が5人常駐していた。隣に大きな貯水タンクがあるのでここにいる限り、水の心配はない。リーダー格の人が体調を心配してくれ、横になっている僕に水や食事を提供してくれた。ダメージは肉体もそうだが、精神的にも大きかったが。休んでいると徐々に体力は回復、食欲も出てきた。

中継地には1日4、5台の車がやってきた。3日目、マリへ行くというアルジェリア人が現れ、その人の車にバイクと一緒に乗せてもらうことにした。情けないが、自走で走る気力も自信もなくなっていた。サハラ砂漠を自力で縦断できないのは無念だが、命があれば別の機会にまた挑戦できるはず、そう信じることにした。

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