BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2015.05.18 / Vol.21

    忘れられない思い出のモーターサイクル旅行.2

CREDIT

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    藤原かんいち

    • カメラ

    藤原かんいち

    • バイク

    RZ250

いまは旅行家として活動しているが、その前にも日本一周や原付バイクで世界6大陸など多くの旅を体験している。そのほとんどをバイク雑誌やWEBなどで紹介してきたが、初めての日本一周の旅(1984年)に関しては、まだどこにも書いていない。そこで30年の時を越えて、いまその旅を紹介したいと思う。30年前の旅はどんなものだったのか? 当時の時代背景を想像してみたり、いまとの違いを見つけたり、同年代の人にはその頃の自分を思い出しながら読んでいただけたら嬉しい。ただ当時は旅日記など書いていなくて、唯一残っているのがアルバム写真。脳みそにかすかに残っている記憶と数枚の写真を手掛かりに、当時の旅を思い出しながら語って行きたいと思っている。ということで今回は日本一周1984年の後編!!

ライダーのピースサインに感動

十和田湖にある有名な「乙女の像」は意外とゴツかった。

初めて訪れた憧れの北海道、旅の日々は夢のような毎日だった。どこまでも続くまっすぐな道、桁違いに大きな自然、鹿やキタキツネなどの野生動物、露天風呂、ライダーやほかの旅人との出会い、いつか行ってみたいと思っていた宗谷岬、富良野、知床半島、開陽台、摩周湖、襟裳岬... 忘れることのできない風景にたくさん出会った。 その中でも嬉しかったのが、すれ違うライダーがくれるピースサイン。大きく手を振る人、足を上げる人、シートから立ち上がる人、仮面ライダーの変身ポーズする人など十人十色。おかしなポーズに思わず笑ってしまうこともあった。ピースサインを出す瞬間は、バイクで北海道を楽しんでいる仲間がたくさんいる、それが、単純に嬉しかった。「みんな、気を付けて。いい旅しようぜーっ!」笑いながら何度も左手を空高く突き上げた。

長野県の歴史ある「善光寺」にも立ち寄った
日本一周で絶対に行きたかった場所のひとつが「見附島」
「鳥取砂丘」を訪ねたときはいい天気だった。風景も変わっていない。

このライダー同志のピースサイン文化、いつから始まったのか定かではないが、30年経ったいまでも、続いていることに感動する。しばらくあの感覚を味わっていない人は、ぜひ北海道を訪れて再体験してほしい。昔とは一味違う、新しい喜びがあるはずだ。

「日御碕」で出会った九州のライダーの家を後日訪ねた
「津和野」と「萩」は当時から人気のある観光スポットだった。

もうひとつ驚いたのは信号が少ないこと。少ないとは聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。特に道北と道東は壮大だった。1時間、2時間走っても信号に捕まることなく走り続けられるなんて、関東に住んでいる人には信じられないこと。ストレスゼロ、まさにライダーパラダイス。スピードメーターを50kmに合わせて走り続けていれば、1時間後には50km先の町にいる。そんな当たり前のことが痛快だった。

とんこつラーメンにカルチャーショック

長崎にある日本最西端の駅「平戸口」にも立ち寄った。
長崎原爆公園にある平和を祈って作られた「平和祈念像」。

夏祭りが終わった気分で本州を南下。青森からどんなルートを通って九州まで行ったのか? その途中でどんなことがあったのか、あまり憶えていない(笑)。アルバムの写真を見たところ、十和田湖、長野の善光寺、新潟の親不知、能登半島、金沢の兼六園、鳥取砂丘、出雲大社、津和野、萩...と続いているので、日本海寄りを南下しているのは確かのようだった。この中で一番よく憶えているのが能登半島。前編でも書いたが、10代の時に好きだった自転車で日本一周をする連載漫画「サイクル野郎」で、能登半島が舞台になっていたシーンが強く記憶に残っていて、自分が日本一周するときには絶対に行きたいと思っていた。その中でも印象的だったのが見附島(軍艦島)。岸から石が橋のように並べられ軍艦形の島まで歩いて行けるようになっていて、その上を自転車で走るシーンがあったのだ(実際に走ることは不可能だが)。見覚えのある島が見えた瞬間、「ここだ、ここだ!」と子供のように大興奮した。

改めて見るとパッキングがかなり怪しい(笑)。

それから鳥取砂丘へ行った時も、大地がうねるような巨大な砂丘を見ながら「日本にも砂漠があった!」と感動した。その砂丘に大きな観光ラクダがいて乗れるようだったので近寄って行ったが、値段が高くて乗れなかったことを憶えている。ちなみにいまはひとり1300円だとか。何年か前に1800円から500円値下がりしたらしい。当時は一体いくらだったのかな??

九州では一番印象に残っている「やまなみハイウエイ」の長者原。
「大観峰」は阿蘇の素晴らしい絶景が見られるスポット。

この後、出雲大社と日御碕へ。出雲大社のしめ縄の大きさに度肝を抜いた後、訪れた日御碕で福岡から来たライダーと出会い仲良くなった。いま日本一周中で、この後九州へ行く予定だと話すと「福岡に来たら泊まりおいで!」と言ってくれ、数日後に訪ねることになった。旅先で知り合った人の家を訪ねるのは始めてなのでよく憶えている。

緑が美しい「草千里」。初めて写真を見た時から行きたいと思っていた場所。
フェニックスが並ぶ。宮崎は南国ムード満点。

夕方に家を訪ねると一緒にラーメン屋へ行くことになった。「ラーメン」を注文すると何と「とんこつラーメン」が運ばれてきたのでビックリ。とんこつラーメンは知っていたが、「ラーメン」は関東のように醤油味が普通にあって、そのほかに「とんこつラーメン」というメニューがあると思っていたので、カルチャーショックだった。この時初めて本場のとんこつラーメンを食べたのだが、スープの味はかなり濃厚で匂いもきつかった。さらに麺も細くストレート。初めての味に遠くへ来たことを実感した。

そして、日本一周の旅完結!

「佐多岬」も思い出深い。いまは高台にあった展望台もなくなってしまった。
「室戸岬」の風景は30年経ったいまでもほとんど変わっていない。

長崎で高校時代に文通(懐かしい響きだなぁ~)をしていた女の子と会って、オランダ坂やグラバー邸など長崎市内を案内してもらった。かわいい子だったけど、いまどこで何をしているのだろう? その後、九州で一番行きたかった阿蘇山へ。途中の「やまなみハイウエイ」は景色が良くて最高に気持ちよかった、いまでも人気だけど、あの頃はまだ有料だったんだよなぁ。

それから高千穂峡、都井岬、桜島を訪ね、九州最南端の佐多岬へ!! 北海道の宗谷岬からずっと目指していた場所だったので着いたときは嬉しかった。南国の植物がたくさん生えていて、別の国に来たような気分になった。ただバイクで岬の先端まで行くことはできず、有料道路を通って、さらに有料のトンネルを歩いていくのにはビックリだった。その後四国地方を回ったらしく足摺岬と室戸岬、香川県観音寺の銭型砂絵の写真があるのだが、笑ってしまうほど記憶が残っていない。

岡山の倉敷。古い建物が並ぶこの周辺は別世界のようだった。
異国情緒が漂う神戸の街を散策。うろこの家はあれ以来訪ねていない。

本州に戻って、広島の高速道路を走っていた時だったと思う。突然、後ろに白バイが現れ、止まれのサイン。まさか、心臓の方が止まりそうになった。バイクを路肩に寄せるとスピード違反だという。17~18kmオーバーだったと思うが、これは日本一周中だったのでかなりのダメージだった。頑張って節約しながら旅をしていたので、点数よりも違反金の方がきつかった。実は交通違反はこれが最後、それから30年間違反をしていないのはちょっと自慢(笑)。

その後、男ひとりで倉敷の美観地区やアイビースクエア、さらに神戸の異人館などを散策した。かなり浮いていたと思うが、どうやらこういう観光地も好きだったらしい(笑)。この頃はコンビニがまだなくて、よくほか弁を買って食べていた。それがないときはよく商店でカップ麺を買って、お湯をもらって食べることが多かった。ある商店で女の人がカップ麺にわざわざお湯を入れてくれたばかりか、3分待ってスープを入れて、かき混ぜて渡してくれたことがあった。そんなことは初めてだったので、凄く嬉しかったことを憶えている。

初めて訪れた「潮岬」は緑の芝生が広がり開放的だった。
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そして紀伊半島、本州最南端の潮岬へ。ライダーは端っこが好きとよく言われているが本当らしく、宗谷岬、納沙布岬、佐多岬、足摺岬など結構訪ねている。潮岬は広い芝生が広がっていて、青空が気持ち良かった。

名古屋を経由して木曽路へ。国道19号を走っている時、流れに沿って走りながら、ふとよそ見をした瞬間、歩道との境界にある縁石に気が付かず、ドンと乗りあげ転倒! RZ250のエンジンに傷が付き、ヘットライトも割れてしまった。体は打撲程度で済んだのが不幸中の幸い。エンジンも動いたのでそのまま走り続け、木曽路の妻籠と馬籠、寝覚ノ床などをめぐり、何とか無事に帰宅することができた。家に着いたときは何ともいえない大きな満足感と達成感に包まれた。日本一周47日間の旅だった。

アルバムを開くと最後のページに、くさい言葉が書いてあった。恥ずかしいけど今ならもう時効なので(笑)ここに記しておきたいと思う。

転倒で割れたヘッドライトのレンズ。最後まで良く走ってくれたRZ250。

遊びでもない 仕事でもない
僕にとってもっともっと大切なこと
今自分が一番したいこと
それが日本一周だった。
雨に打たれ夜中までねぐらを探したこともあった
あまりの暑さに体調を崩したこともあった
それでも日本一周という目的があった
僕はこの4文字に向かって
47日間という日々を費やしてきた
もしかして23年間生きてきた中で
最も輝いていた47日間かもしれない。

昭和59年8月16日。日本一周達成。全走行距離12,940km

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