BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2015.02.18 / Vol.18

    僕のツーリングパッキングスタイル&装備品の歴史(80年代)

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僕が初めてロングツーリングは1984年の日本一周。いまから30年も前のことなんですね(いやぁ~、そう考えると長く生きてるね)。ひと時代、いやふた時代前という感じだね。YAMAHAのRZ250という2ストのトリッキーなバイクで日本一周をしたのだが、いま振り返るとあの時はパッキングも装備も無知だった。あれから30年(なんか綾小路きみまろみたいだな)。僕のパッキングはずいぶん上達したし、持って行く装備品もずいぶんと様変わりした。特に装備品はその時代が反映されるので、持っているものを見るとその時代が見えてくるんだよね。ということで今回はパッキングと装備品の変化を追いながら、時代を追って行きたいと思います。まずは80年代から!!

【1】何も知らなかった純粋な日本一周RZ250時代

北海道の愛国駅での写真
日本一周の時のウエア。

1984年。最初の日本一周は日記等も書いていなかったので、実は何を持って行ったのかなど詳しいデータは全く残っていない。なので曖昧な記憶と少ないアルバム写真を元に話して行きたいと思う。バイクはYAMAHAのRZ250。2ストでピッキーなエンジンが特徴。長距離には全然向いていないバイクだったが、10代から夢だったのでそのまま日本一周の旅へ出た。
宿に泊まる旅は何度か体験していたが、日本一周は長期なのでお金がかかると思いテントを持参した。しかし当時はいまほどキャンプが盛んではなかったし、情報も少なかったのでホームセンターで安いテントを買った。寝袋の存在は知っていたので買っておいたが、ウレタンマットなどを敷いて寝ることは知らなかった。デコボコの地面の上で寝たとき背中がすごく痛かったことを覚えている。そうどんな人間も最初は初心者なのだ(笑)ストーブやコッヘルなどの存在も知らなったので、自炊道具は何も持っていなかった。折りたたみの椅子などもなく、キャンプ用装備はとにかく貧弱だった。また当時はコンビニがなかったので、ほかほか弁当でお弁当を買って食べていた。カップラーメンなども、商店でお湯をもらったり、今考えるとほのぼのしていた。

ウエアはレーサー用のレザーパンツにレーシングクブーツ。これは当時流行っていた「汚れた英雄」の影響が大(笑)。誰もが平忠彦、フレディースペンサーだった。上はナイロンジャケット。ヘルメットは当時から人気のあったアライのフルフェイスを被っていた。バイクのカラーリングに合わせて、ウエアも赤黒に統一。いま見ると「何だかな~」という感じだが、その当時はそれなりにオシャレだった(笑)

【2】少し成長した北海道林道一周時代

水色のストライプのバックが恥ずかしい
赤のヘルメットは外国製

1985年。日本一周をしている時に「バイクでもっと自然の深くへ入って行きたい」と思うようになった僕はRZ250を売却してオフロードバイクHONDA XL250Sを購入。北海道の林道旅を計画した。
装備品は日本一周で学んだことを生かし、まずウレタンマットを持参(笑)。これで睡眠はかなり快適になった。それから自炊用のアルミのコッヘルと、ガソリンストーブのオプティマス8R(お弁当箱という愛称があった)を購入。本当はホワイトガソリン専用なのだが、高いのでバイク用のガソリンをそのまま流用していた。当時はコールマンのピーク1というガソリンストーブが人気でキャンプ場に泊まっているライダーの半分ぐらいが使っていた。とにかくお金を使いたくないのでほとんど毎日キャンプをしていた。またオフロード走行がメインと考えていたので、荷物はかなり軽量化を図った。

30年前に使っていた北海道マップ。
昭和51年発行

パッキング内容は、やはりコロナのタンクバック(シルバー)、リアシートにはテントの入ったバックとウレタンマット。背中にはデイパックとかなりシンプルになった。ウエアも日本一周からガラッと変わって、オフロード仕様に。ガエルネのオフロードブーツにモトフォックスのオフロードパンツ。上も同じくモトフォックスのジャージ、その上にダウンのジャケットを羽織っていた。テーマカラーはイエロー×レッド、かなりハデハデだったが、当時はこういうライダーがたくさんいたよなぁ~と思ってアルバムを見返すと、僕が一番ハデハデだった(笑)それからこの旅から初めて一眼レフのカメラを使うようになった。さらにコンパクトサイズの三脚も持参するようになった。

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