BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2015.02.18 / Vol.18

    - page2 - 僕のツーリングパッキングスタイル&装備品の歴史(80年代)

CREDIT

【3】オーストラリア憧れのアドベンチャー時代

腰に巻いているウエストバックも風魔プラス1
リアの一番上は豪製の水筒。

1987年。とにかく誰も走ったことのないダートルートを走ってみたい。360度の地平線を見たい、冒険ツーリングに強烈に憧れていた時代。この頃は「パリダカールラリー」全盛期。パリをスタートしたラリーカーやバイク、トラックたちが何日間もかけてサハラ砂漠を越き、ゴールのダカールを目指す壮大なアドベンチャーレースで、とにかくかっこよかった。爆音を轟かせながら巨大砂丘を越えるバイク、骨折しながらも走り続けるライダー...シビレるシーンの連続で 噛り付くようにテレビを見ていた。そしていつかあんな大自然の中をバイクで走ってみたい、と本気で思うようになっていた。
そしてついに実現したオーストラリア一周。バイクはあえて原チャリ。HONDAのMOTRA。前後に付いた大きなキャリアが特徴、当時ホンダのラインナップからすでに消えていたが、比較的簡単に買うことができた。装備はブッシュキャンプが前提でさらに1400km無給油のオフロード走れる内容にした。フロントキャリアには10リットルサイズのガソリンタンクとマット、ツールセット。リアキャリアには10リットルと5リットルのガソリンタンク。もうほとんどバイク版タンクローリーという感じだ(笑)さらにテントと寝袋、自炊道具ほかの入ったバックを載せた。その上に交換用タイヤが2本(現地では手に入らないサイズのため日本から持参)、さらに1ガロンサイズの水筒、山のような荷物をストレッチロープで縛りつけた。フレームの左側には自炊用の飯盒をセットした。

ウエストのカメラバックには一眼レフカメラと予備のコンパクトカメラ。バックパックには食料とリバーサルフィルム30本。当時はフィルムだったので、かなり大きなスペースを取っていた。念のためX線検査に備えて鉛のケースに入れていた。自炊用にガソリン燃料が使えるコールマンのピーク1を持って行ったが、旅の途中でどこでも簡単にたき火ができることがわかったので、出会った日本人旅行者にあげてしまった。
ウエアは恥ずかしくなるくらいやる気満々のアドベンチャー仕様。当時憧れていた冒険家・風間深志さんがプロデュースするウエア「風魔プラス1」のモトパンとエンデューロジャケットを着ていた。そこにガエルネのモトクロスブーツといういでたち。ヘルメットのモデルは確かアライのMX-2(?)だった気がする。チンガードがボルトで留まっていたので、取り外してスワンのゴーグルにフェイスガードを付けていた。これだとヘルメットを被ったまま飲み物が飲めるので便利だった。そういえば最近このフェイスガードを付けているライダーがいなくなったな。まさに前世紀スタイルなんだね。この時もやはりウエアはレッドカラー。きっと若いエネルギーが燃え滾っていたんだろうな(笑)。

【4】ネクストステージへ、ゴリラで世界一周時代。

予備ガソリンと水だけで35キロも載せていた
普段は使わないものも多く積んでいる
アフリカで携帯オイルは必需品

1989年~91年。ゴリラは小さく非力なので装備品は登山家のように厳選した。サービスマニアルは余白部分を切って軽量化。着替えは数枚。工具も最小限。テントも最も軽いモデルに変更、サハラ砂漠越えの前に極限まで削った。
フロントには10リットルのガソリンタンクと交換用タイヤ2本、アルミの水筒。タンクバックは相変わらずのコロナ。リアキャリアのバックの中にはテント(フライシートのない軽量ゴアテックス製)と寝袋、スペアパーツ(アクセル&ブレーキケーブル、レバー、バルブ、ブレーキシュー、タイヤチューブなど)、工具類(レンチ、ドライバー、パンク修理セットなど)キャンプ用品など。その上に10リットルのガソリンタンクを載せていた。調理用のストーブはガソリンストーブの中でも特にコンパクト軽量なオプティマス123Rを選んだ。コッヘルも軽量なアルミ製。そういえば下着も、軽量化のためフンドシにしたんだっけ(笑)これが想像以上に履き心地が悪くて、大変なことになったことを思い出した。乾きは早いんだけどね~

体にはカメラバック。一眼レフカメラは確かニコンのFM2だったかな。それと望遠の交換レンズが一本。サブカメラはコニカのビックミニ。背中のバックパックにはオーストラリアと同じように大量のフィルム(30~40本)を詰め込んでいた。他には現地で買った食料品と5リットルの水タンク。これがかなりの重量で背負って歩くのがきつかった。
前の旅でオフロードウエアだと町を普通に歩いているだけで目立ってしまうことがわかったので(笑)、この旅から普段着に近いウエアに変わって行った。それでもジャケットだけは世界一周に耐えられるヘビーデューティな、風魔プラス1のゴアテックス製ジャケットにした。この辺りからゴアテックス製品が登場するようになったが、初期の頃はまだ生地が厚く、着心地も固くゴアゴアしていたし、かなり高価だった。ちなみにボトムはリーバイスのデニムにレザーブーツ。ヘルメットはアライのMX-3。
80年代は、カメラはフイルム、情報は本や雑誌、音楽はラジオ、日記はノート、紙の地図、インターネットもない時代。情報が少ないため海外へ行くのも、いまに比べると覚悟が必要だった。それから外国に行くと日本の情報が完全に遮断されるので、1年後に帰国すると浦島太郎になった(笑)

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