BBB MAGAZINE

  • 大人のたしなみとしてベスパに接してみよう!

    2018.06.11 / Vol.47

    ヒストリックモデル #13

CREDIT

    • ライター
    • 執筆

    隅本辰哉

    • 撮影

    PIAGGIO本国広報

    • バイク

    Vespa

今回はベスパの主力モデルと言って差し支えないほどロングセラーモデルへと成長したプリマベーラに注目です。なんと今年で50周年という長寿モデルであるばかりか、いつの時代も常に若者があこがれるベスパの代名詞といった存在でした。その辺りを掘り下げつつ、すでに本国で発表済みの50周年記念モデルについても触れていくことにしましょう!

スモールシリーズに追加投入されたハイエンドモデル

プリマベーラが若者達の生活に寄り添うような存在だった事は
学校前のカップルのようすからしてうかがえるというもの

  当時の新規制では50cc超の2輪車にナンバープレートを義務化することが定められ、50ccならば免許なし(年齢制限あり)で乗ることが許されていたんです。この事に着目したピアッジオ(ベスパの製造メーカー)は、主に若者をターゲットにしたエントリーモデルとして50ccモデルを投入。それまでのモデルと比べて少々小ぶりだった事から、いつしかスモールと呼ばれるようになりました。

  結果的にそのエントリーモデルは大ヒットを記録し、ピアッジオは若者を中心とした多くのエントリーユーザーを獲得する事に成功しています。そうなると必然的にステップアップモデルへのニーズが高まるワケで、1965年になると125Nuova(ヌオーバ)というモデルが追加され、更にその後継機種として性能と利便性の向上を果たした125プリマベーラが1967年にデビューしたのです。

◎プリマベーラの変遷1

  1967年に登場した125プリマベーラは70年代半ばくらいでエンブレムの書体が変更されています。その変更前を第1世代、変更後を第2世代と区分。この頃の車両は125ccらしく程よいパワー感があってバランスもよく、加速もスムーズでギクシャクすることなく交通の流れをリードするくらいは余裕です。現代的な125モデルよりも非力と言わざるを得ませんが、スモールならではの軽量ボディが功を奏したキビキビ感があり、普段使いにマッチしたモデルだと言えます。

日本限定で再生産されるほど人気を博した

より高い動力性能を得た125ET3プリマベーラなら
タンデムだって軽々とこなし第2世代より軽快だった

  免許の要らない50ccとは異なり、免許が必要(16歳から取得できた)な125ccでしたが、当時の若者達はこぞって125ヌオーバ〜125プリマベーラに関心を持ったそうです。とくに125ヌオーバよりもエンジン性能が向上していた事から、125プリマベーラはステップアップモデルとして誰もがあこがれていたとされています。
  その事は当時のメーカーアナウンスでも触れられていて、「Vespa Primaveraに多くの若者が夢中です。高く評価されるその優雅さと軽さに加えて、取り回しのしやすさと加速性能の素晴らしさも若者達を惹きつけてやみません」とあります。
  まあ、スモールのハイエンド版として追加投入されたような流れだけに、そうした市場の反応はうなずけます。そもそも50cc版と同じスモールボディに125ccパワーユニットを搭載したモデルですから、排気量が上げられ、パワーも増強されていた分、走りのグレードは格段に向上していたワケです。

  そして1976年には第3世代となる125ET3 Primaveraが登場します。CDI点火の3ポートエンジンを搭載し、格段に動力性能を高めていた点がポイントです。ただし125ET3プリマベーラへの完全移行とはせず、最終的に1983年まで第2世代の125プリマベーラと併売というカタチで展開され、世界中のファンに愛されていたのです。

  なので世界の認識としては、一応1983年までの生産でプリマベーラが終焉を迎えたものとされています。 しかし日本国内ではスモールシリーズの爆発的ヒットを受け、当時の輸入元・成川商会がピアッジオと懸命に交渉。その結果 1987年から2000年の間だけ、日本仕様とされる125ET3プリマベーラの再生産モデルが日本限定でデリバリーされました。

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