BBB MAGAZINE

  • 藤原かんいち電動バイク世界一周

    2007.11.03 / Vol.33

    電動バイク世界一周の旅『 親切なイラン人たちに感謝 』

CREDIT

VOL.33 『 親切なイラン人たちに感謝 』[アジア大陸編]

藤原かんいちの冒険ツーリング

トルコ東部

トルコ東部

キャフタでネムルトダーゥ遺跡を見学すると、パッソルを東へ東へと走らせる。乾燥した山々と青い空のコントラストが美しい風景が続く。

トルコ南東部の中心地、ディヤルバクルに到着。全長5.5kmに及ぶ城壁に囲まれた旧市街には無数のジャーミィが点在、歴史ある町だ。夕方、町を散策していると広場に張られた大きなテントが目に止まった。入口に長蛇の列。もしかして...と思い中を覗くと、入口で順番に食事を配られていた。やはりそうか。イスラム教のラマザン(断食)の時期は、市民に夕食が無料で配給されると聞いていたが、初めてみた。

気のいいトルコ人が「そこの日本人も一緒に食べよう!」と僕たちを手招いた。でも僕たちはイスラム教徒でもないし、ラマザンもしていないし... と遠慮していると「いいから、いいから!」と中に引きずり込まれる。せっかくなのでご馳走になろうか!


オイル交換屋
トルコ・イランには専門のオイル交換屋があるので便利。ちょっとバイクを止めただけで野次馬が集ってくる

内容は豆、肉シチュー、パン、ミネラルウオーターとシンプルな物だが、異教徒の僕たちを快く受け入れてくれた、トルコ人の気持ちが嬉しかった。

東部に行くほど建物が貧しくなる。団地の公園でたむろしていた子供たちが、バイクに向かって石を投げて来た。「危ないなぁ!」。遊び半分なのかも知れないが、当たり所が悪かったら大怪我。止まって注意するが、ふてぶてしい態度で立ち尽くしている。

さらに先のタトバンでは、不用意に曲がってきたミニバスにヒロコが巻き込まれて転倒。かすり傷程度で済んだから良かったが、明らかに相手が悪いのに「ハァ?」と惚けて、謝りもしないのには腹が立った。人間も色々だ...

親切なイラン人たちに感謝

墓標
高さ2mもある墓標が林立する、不思議な風景が広がっていた。モンゴル統治時代に造られたものだという

長かったトルコの旅を終えてイランに入る。イランは特にイスラム色が強い国、パソコンの持込など入国審査が厳しいと聞いていたので緊張する。ところが荷物のチェックされることもなく、バイクの入国手続きも英語の話せるツーリストオフィスの人が手伝ってくれスムーズ(チップもなし)。苦労することなくイランに入国!さあ、走るぞ!

イランに入って大きく変わったのは、女性が全員黒いスカーフやチャドルを纏っていることだった(異教徒の外国人旅行者もスカーフを纏わなければならない)。同じイスラム教の国でもトルコはスカーフをしていない人も多く、またしていてもカラフルだったので、随分と厳粛な感じがする。
また、建物も幾分しっかりした造りになり、道の舗装もかなりまともになった。だが、それ以上に変わったのは人間。トルコ人もかなり親切だったが、イラン人はそれに輪をかけて親切なのだ。


ハミドさんと婚約者
5年前まで日本で働いていたハミドさんと婚約者。お宅へ招かれたり、車で町を案内してもらったり、お世話になった

ある日のこと。町に着き、道端でガイドブックを開いていると、親切な人が英語でホテルまでの行き方を教えてくれた。ところが途中でまた道がわからなり、通りがかりの人に声をかけると、その人がさらに町に詳しい人を呼んでくれ、どんどん人が集ってくる。

みんなで「あのホテルがいいんじゃないか」「いやあそこがいいよ」と色々考えてくれる。さらに最後にはどこからか車が現れ、みんなから運転手にその内容が伝達。車が先導してホテルまで連れて行ってくれる、という。それから10km位、バイクに合わせてゆっくり走ってくれ、ホテルに着くと「じゃ、僕たちはこれで!」と颯爽と帰って行く! 普通はここでチップをくれとかゴタゴタすることが多いのに、純粋に親切心と客人をもてなす気持ちだけで僕たちに接してくれているのだ。無償の親切心、誰にでも簡単にできることではないだけに、頭が下がる。

その後もイランでは同じような親切を数え切れないくらい受けた。知り合った人の家に招かれ、食事をご馳走になったことも1度や2度ではない。日本では危険なイメージがあるイランだが、本当の姿は全く違う。イラン人は穏やかな人が多く紳士的。心温まるもてなしを受けた数は、これまで旅した中で間違いなく一番だろう。

まさかのスパイ容疑?

イランとの国境近く
イランとの国境近く、ドバヤジットの郊外にある"イサク・パシャ宮殿"。山服に建つ宮殿から望む景色は雄大

大都市、テヘランはとにかく車の運転が荒いと聞いていた僕たちは、パッソルで走るのは自殺行為と判断。テヘランは寄らずにイラン一の観光スポットとなっている、エスファハーンへ向かって南下することにした。

絵に描いたような岩山が続く、その間に点在する土壁の古い集落。今日はメインルートだというのに車が少ないので、僕たちは調子に乗って走りながらビデオを回したり、風景写真を撮ったりしながら進んだ。

荒野を気分よく走っていると、どこからかポリスの車が現れ、僕たちの前で止まった。ムムム...何だろう? ヒロコと目を合わす。パスポートを確認すると、後に付いて来いという。訳がわからず付いてゆくと、そこから5km位走ったところに、なんと「NO PHOTO」の看板と大きな軍施設があるではないか。おおおっ、そういうことか! どうやら僕たちは怪しい旅行者(スパイ!?)に間違えられているようだ。


ワン湖の風景
ワン湖の風景は、この旅で走った世界絶景ロードの5本の指に入る美しさ。特に期待していなかったので、よけいそう感じたのかも

軍の通行ゲートの事務所へ案内されると、バックからカメラを出すよう指示される。カメラを手にすると、画像データの内容を一枚一枚チェック。施設を撮った記憶はないので問題ないはずなのに、ドキドキ心臓が痛くなる。何気なく視線を上げると、ゲートから50m位のところでマシンガンを持ったごついアーミーがこちらを見ていた。

パラパラとパスポートを捲る係官の手が止まった。覗くとアメリカのビザのページをジーッと見ているではないか。うわぁぁぁ... 僕たちはごく普通の日本国民です、アメリカのスパイじゃありませんよ、お願い信じて... 心の中で叫ぶ。
「かんいち、ふじわーらー! あはははは...」

僕の名前を読んで笑った。な~んだ、ビザに書いてある名前を見ているだけだったのか...あ~ビックリした。脅かすなよ~。しばらく待った後、中から専門担当者がやって来て、再びカメラチェック。その後、特に問題ないということで無罪放免、開放された。

バイクに跨りながら「ああ、良かった、寿命が縮まったよー!」と笑ったが、それからしばらくの間は怖くて写真を撮れなかった。

エスファハーンでひと休み

エスファハーンのエマーム広場
エスファハーンのエマーム広場。奥に見えるのが"マスジェデ・エマーム"。ブルーのエイヴァーンとメナーレが見事

イランの最大の見所、エスファハーンに到着した。数々のイスラム芸術・建築が残る町で「エスファハーンは世界の半分がある」という言葉もあるほど。まずはその中心となるエマーム広場を訪ねることにする。

宿から10分ほど歩くと、四方を回廊で囲まれた巨大なエマーム広場に出た。青く輝く"マスジェデ・エマーム"が目に飛び込んでくる。イランのイスラム芸術の集大成と言われるイスラム寺院だ。広場に面した正面に立つエイヴァーンの装飾が見事。門をくぐると、奥に中庭があり、メッカの方角を向いたエイヴァーンが聳え立っている。その壮大さ、紋様と色使いの美しさに圧倒される。

もう一方には王族専用のマスジェデ"マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー"が立っている。マスジェデ・エマームと並ぶ傑作とされているが、こちらはドーム内部のモザイク紋様がとにかく緻密かつ優雅。ため息の出る美しさ、とはまさにこのことだ。


2人組のデンマーク人ライダー
道で偶然であった2人組のデンマーク人ライダーとメールアドレスを交換。その後、エスファハーンで再会。いまはどこにいるのやら?

さらにエスファハーンでは思わぬ再会が待っていた。トルコで2度会ったアジア横断のデンマーク人ライダー、ステファン&シモンが偶然同じ宿にやってきたのだ。彼らとインドまでほぼ同じルートなので、もしかしたらどこか会えるかもと話していたが、まさか本当に会えるとは思わなかった。

2人ともまだ24歳と若いが、勢いだけで無知なところがあり、イランに入る直前に「イランはATMが使えないって知らなくて~」といい始めたのでビックリ。そんな調子で大丈夫なのか心配していたが、無事に旅を続けているようなので安心した。

ケルマンから国境を越え、クエッタヘ

糸杉
イランで偶然情報が入り訪ねた巨木。糸杉でサイズはそれほど大きくはないが、樹齢が4500年~5000年と聞いてビックリ

イラン東部、ケルマンに着く日の朝。携帯電話に突然メールが入った。
~ケルマンで日本人旅行者が拉致されたらしいよ、気をつけて~
「えええっ、日本人が拉致されたぁ!? うそだろ!」 まさにケルマンに入ろうとしているところで、何というタイミング。あまり治安の良くないとされる(過去に外国人が誘拐された事件がある)ケルマンからパキスタン国境までの約600kmのエリアをどう移動するか考えていたが(この間大きな町は2つだけ、パッソル走行自体が困難)、このメールを見た瞬間、トラックにバイクを載せて一気に移動することに決めた。ロカ岬から続いているパッソル自走の足跡がここで一時途切れてしまうのは残念だが、命には代えられない。

ケルマンで泊まっていた宿の人がトラックを見つけてくれ、何とかザヘダンまでいける目処が付いた。イラン人には最後までお世話になりっぱなしだ。トラックに揺られること8時間、イラン最後の町ザヘダンにたどり着いた。途中バム以外に町はなく、無人の荒野と山が延々と続いていた。すれ違う車も皆無、もしここで襲われたら一巻の終わりだろう。 ザヘダンから国境までの約80kmは自走するが、ポリスの車が常に同行して僕たちの安全を確保してくれた。

パキスタンを警察と大移動

パキスタンに入国
パキスタンに入国。ピックアップにパッソルを載せヒロコが乗り込んだ、いよいよクエッタヘ向けて出発だぁ

とにかく無事パキスタンに入国できた。次はタフタンからクエッタまでの650kmは砂漠地帯をどう乗り越えるかだ。当初は時間をかけて自走する予定だったが、国境を接しているアフガニスタンの情勢が悪化していること、また前半400kmは充電のできる村がないことから、クエッタまではパッソルとヒロコは車で移動することにした。

ところが今はラマザン開けの連休中のため車はほとんど走っていないという。それでも一台ぐらいは...と思い、ホテルの人に相談。そこで偶然にもポーランド人カップルとパキスタン系のイギリス人たちが、僕たちと同じように車を探していることが分かった。旅は道連れ、一緒に行くことにする。しばらくしてホテルの人がクエッタ行きのピックアップを見つけて来た。運転手と値段交渉に時間がかかったが、みんなでシェアして行くことにした。ヒロコとパッソルは車に乗り込み、僕はマジェスティーに跨る。


ハデハデにデコレーションされたバス
パキスタンに入国。ピックアップにパッソルを載せヒロコが乗り込んだ、いよいよクエッタヘ向けて出発だぁ

12時半タフタンを出発。埃を巻き上げる車の後を必死に追いかける。突然、砂山が道を覆っていたので急ブレーキ。危うく転倒する所だった。離されないよう必死にアクセルを開けるが、砂や穴がどこにあるかわからず、スピードが上がらない。

ついに日が沈んだ。もちろん外灯などない。マジェスティーのヘッドライトと車のテールランプを頼りに進むが、ところどころ路面が真っ黒な部分が現れる。それが単なる起伏か穴かわからないので、一旦スピードを落とさなくてはならない。お陰で車がどんどん離れて行く。車なら80km位で走れるが、バイクにとってはかなり危険な速度。ここで無理して転倒したら一大事。旅どころではなくなってしまう。とにかく路面状況に神経を集中、安全なスピードギリギリをキープする。

どれくらいの時間、闇の中を走り続けただろう... 延々と続く闇の先に点在する小さな明かりが見えてきた、やったクエッタだ。ホテルに入ると、気を失うように眠った。

現在地:インド・デリー(2007年10月31日付)
パッソルの総走行距離:42,781km(アジアの走行距離:6,174km)
今回のルート:Kahta →→Tatvane→→(IRANイラン入国)→→Tabriz→→Qom→→Esfahan→→Kerman→→(PAKISTANパキスタン入国)→→Quetta→→Sakkar→→Lahore→→(INDIAインド入国)→→Amritsar→→Delhi
訪問国数:39カ国
文/写真:藤原かんいち&ヒロコ

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