BBB MAGAZINE

  • EnjoyCampTouring!

    2018.05.10 / Vol.29

    ツーリングキャンプ物語

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キャンプツーリングついに到来! 山へ、海へ、川へ、湖へ、高原へ!! すでにいろんな所へ出かけていることと思います。5月はまだ暑くないし、嫌な虫も少ない、梅雨前なので雨も少ないといいことづくめ。キャンプを楽しむのに最高の季節なので、ぜひバイクに乗って出かけましょう。さて今回は、これまで約30年間続けてきた日本のキャンプツーリング、その中で特に思い出に残っているキャンプ場エピソードを4つ紹介させていただきます。

01.恐怖の初ツーリングキャンプ

日本一周
日本一周ではいろんな出会いがあった

23歳。ヤマハのRZ250で初めての日本一周ツーリング、その時が初めてのキャンプとなった。当時は楽しむというよりも、安く泊まれる宿泊方法のひとつというという感じで、知識もなく持っている装備もかなり貧弱だった。
日本一周の初日。どこまで行く予定だったのか全く覚えていないが、日がどっぷり暮れた後、福島県にある猪苗代湖に到着した。30年以上前なのでスマホはもちろん持っていない。キャンプ場の情報もなかったので、どこにキャンプすればいいかわからず、湖の周辺をバイクの薄暗いライトの明かりだけを頼りに、テントが張れそうな場所はないかウロウロ探し回った。

RZ250
ヤマハRZ250は当時人気のバイクだった

すると運よく広い空地のような場所を見つけた。周りは家もないので、ここならいいだろうと思い、ホームセンターで買った安いテントを張った。
張っているときは暗いこともあり、早く張らなければと必死で周りを見る余裕もなかった。張ったテントの中に荷物を全部入れ終え、靴を脱いでテントに入るとようやく落ち着いた。改めてテントの中から目を凝らして周りを見ると100mくらい離れた場所に、小屋があった。明かりないので人が住んでいないだろう。ところがよく見ると、小屋の近くに人影が...

砂浜でキャンプ
砂浜でキャンプしたこともある

「えっ? こんな場所に人がいるの?」「そんなはずないよな...」
 よく見ると、少し動いている。でも人間じゃないとしたら何? えっ、もしかして...オバケ!? 急に怖くなった僕は、大急ぎでテントのファスナーを閉め、寝袋に潜り込んだ。僕はオバケや幽霊がとにかく苦手。それからは、怖くなり外に出られなくなってしまった。トイレに行きたいけど、ガマンだ。
これは眠れないかもと思ったが、旅の初日、疲れ果てていたようであっという間に爆睡していた。翌朝。太陽が出ると同時に、夜の恐怖もどこかへ消え去っていた。ファスナーを開けて、気になっていた場所を見ると、人間(オバケ)と思っていたのは小さな木だった。風にゆらゆらと葉が揺れてる、それを見ながらアハハハ...と大笑い。何とも情けない初キャンプとなった。

02.いまはなき思い出の鳥沼公園キャンプ場

鳥沼公園キャンプ場
平成16年に閉鎖となった鳥沼公園キャンプ場

少しずつキャンプツーリングにも慣れていった日本一周。思い出すとキャンプを始めた頃は、寝るときに地面に敷くウレタンマットがあることも知らず、シュラフだけで寝ていた。地面が砂利の時は背中が痛くてなかなか眠れず、ほかのテントの人たちはすごいな、さすがに慣れているんだなぁと感心していた。ところが後日、みんなキャンプ用のウレタンマットを使って寝ていることがわかり愕然。なるほど、そういうことだったのかと納得した。僕にもそんな微笑ましい時代があったのだ。
日本一周の翌年、北海道のオフロードを2000km走る旅をした。もちろんお金がないので、宿泊はキャンプが中心となった。
 80年代は北海道に旅人から"3大バカキャンプ場"と呼ばれる場所があった。大沼キャンプ場、鳥沼公園キャンプ場、羅臼温泉野営場の3つで、クセの強い旅人たちが集まることで知られていた。そのうちのひとつ、富良野にある鳥沼公園キャンプ場へやって来た。
 林に囲まれた広い公園の一部を無料のキャンプ場として提供されていて、富良野の町から比較的近い場所にあった。昼間に着くとすでに10個近いテントが張られていた。普通の旅人は毎日移動しているので、昼間のキャンプ場にテントが少ないことが多い、それなのになんでこんなにいっぱいテントが... さらにどれもしっかり張られていることから、長く滞在していることがわかった。

オフロードバイク
オフロードバイクで北海道の林道を走り尽くした

僕も適当な場所にテントを設営した。人がポツポツいて、中年のオジサンライダーが声をかけてきた。話を聞くと九州から原付バイクで来ていて、1か月近くここにいるという。さらに夏は北海道、冬は沖縄と渡り鳥のように毎年移動しているというのでビックリ。仕事は?家族は?家は?...クエスチョンマークの嵐だ。
 夕方になるとドドッとテントの住人が帰ってきた。聞くとみんな日本一周の途中で、資金がなくなったので、ここからバイトに通っているという。旅の途中にバイトをする発想がなかったので驚いた。そんな旅の仕方もあるんだな。中年のオジサンといい、何だかとても新鮮な世界だった。
 夜になると焚火を囲んでの宴が始まった。7~8人が集まる輪の中に、僕も入れてもらった。北海道の名所や温泉、旅の話、旅人の噂話、将来の夢、生き方、日本の常識、下ネタ...いろんな話が飛び交う。どれもが地元の友達とは話さない話題ばかりだった。みんな変な常識にとらわれず、心から旅と自由を満喫している。出会いたかった仲間がここにいた、そんな気がした。鳥沼公園キャンプ場が気に入った僕は、しばらく滞在することにした。
 キャンプ仲間たちの中に"隊長"と呼ばれている男がいた。鹿児島の人でリーダー的な存在、乗っているバイクはハンターカブ、旧型のガソリンストーブ、使い古されたテントなど、こだわりの男だった。その隊長の誕生日が翌日であることがわかった。そこでみんなで何かしようと盛り上がり、誕生ケーキを作ることになった。いま思うとなぜお店に買いに行かなかったのかと思うが「どうせなら俺たちの力で作ろうぜ!」と誰かが言い出したような気がする。

富良野
富良野と言えばドラマ「北の国から」

スマホもない時代なので、小麦粉や玉子の分量、生クリームの作り方もよくわからない。おまけに道具はいつも使っているキャンプ用品しかない。こんな状態でできるのか?と思いつつ、みんなで話し合いながらどうにかこうにかケーキらしきものが完成した。ケーキを受け取った隊長が、照れ臭そうな顔で喜んでいたのを今でもよく覚えている。
 その後、隊長が鹿児島へ帰る途中、僕の家に立ち寄り宿泊。隊長が住む鹿児島にはその15年後に訪ね、再会を果たした。またほかのメンバーとSNSを通じて29年ぶりに再会したことも。キャンプのメンバーとは少ないが今でも交流が続いている。
2003年、思い出の鳥沼公園キャンプ場は閉鎖されてしまったが、僕たちの思い出は永遠に消えることはないだろう。

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