BBB MAGAZINE

  • 藤原かんいち電動バイク世界一周

    2007.11.02 / Vol.24

    電動バイク世界一周の旅『 タウンシップツアー 』

CREDIT

VOL.24 『 タウンシップツアー 』[アフリカ大陸編]

藤原かんいちの冒険ツーリング

つかの間の日本タイム

成田から第4ステージ
成田から第4ステージ"アフリカ大陸"へと旅立つ。これまでとは違った世界が待っているんだと思うと胸が弾む

2005年11月下旬。6ヶ月間のヨーロッパ旅行を終えた僕たちは、アフリカの旅の準備を整えるために日本に一時帰国した。いつものことだが成田空港に着き、日本人に囲まれていると、昨日まで海外を旅していたことが"夢"のように思えた。

さて実は、当初の計画では先進国のアメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアだけで、次のアフリカは入っていなかった。電源確保が難しいオーストラリアの"ナラボー平原"も横断できるかわからない状況で、アフリカなどとんでもないと思っていたからだ。
ところが難関をひとつひとつ乗り越えて行くと自信がついてきて、当初は無理だと諦めていたアフリカも行けるんじゃないかと思えてきた。そして05年の春、容量が1.5倍に増えたバッテリーが開発されたことで僕は決意。

「よっしゃ! こうなったらアフリカ大陸にも挑戦だぁ!」
メラメラと燃え上がった僕のチャレンジ精神は、もう誰にも抑えることはできなかった。
日本では雑誌等の執筆活動を進めながらアフリカの情報を収集したり、国際免許やカルネなどのバイク関係の書類を更新したり、慌しく過ごした。

また旅の間、食べられなかった日本食を狂ったように食べまくった。寿司、天ぷら、寄せ鍋、ラーメン、そば、うどん、納豆、味噌汁、焼魚...思いつくものを順番に食べ尽くした。さらに近所の和菓子屋でみたらし団子と豆大福を買ってきて、熱~い日本茶と一緒に食べる。う~ん、おいしい...これぞ至福の時。これでもう心残りはない。
2月17日、僕たちは再び成田空港へと向かった。

悪名高きヨハネスブルグ...

テーブルマウンテン
ケーブルカーに乗り"テーブルマウンテン"の頂上までやって来た。僕たちの後ろには青い太平洋がどこまでも広がっている

成田から目的地の南アフリカ共和国のケープタウンまで、乗り継ぎ2回、約19時間のフライト。とんでもなく長かったが、シンガポール航空は日本映画(もちろん日本語)が観られ退屈しなかった。僕はいまや定番となった"釣りバカ日誌"と、昨年話題になったという"NANA"を遅ればせながら堪能。隣でヒロコはビールを飲みまくっていた。

乗り継ぎのため南アフリカ共和国の最大の都市"ヨハネスブルグ"に到着。ここの治安の悪さは世界でも有数で「バスターミナルに着いた旅行者の8割は強盗に遭うらしい...」という黒い噂が流れている場所だ。

空港は安全らしいが、それでもやはり僕たちは緊張した。大きな荷物をカートに乗せて国内線乗り口を探していると、中年の男が「ケープタウン行きならこっちだぞ」と声をかけてきた。同じ制服(作業着?)を着ている人が何人かいるので、空港のサービスか何かだろう。それなら大丈夫だろうと思い、ついて行く。


手続きに5日間もかかった
手続きに5日間もかかったが何とか無事にパッソルとマジェスティを受け取った。やはりこいつがいないと僕たちの旅は始まらない

エスカレーターに乗せるところでアタフタしていると、その男がカートを支えてくれ、結局そのまま200m程先にあるカウンターまで押して行ってくれた。
行き掛かり上ながらも、押してもらったのでチップとして1ドル渡すと、ノー、これでは少ないと怒り、20ドル(約2400円)くれというではないか。

「えっ? 20ドル?」
この程度のサービスで20ドルなんて話、聞いたことがない。普通は1ドルだぞ。それからあ~だ、こ~だとしばらく揉めたが、最後には男も引き下がり、すごすごと帰って行った。しかし、ホントに20ドルも払う人がいるのか? もしいるとしたら、南アフリカはとんでもない国だ。

旅人の交差点

右がホンダのXR250左がスズキジェベル250XC
右がホンダのXR250でユーラシア&アフリカ大陸を旅したテンコー。左がyoshi。ユーラシア&アフリカ大陸を旅したバイクはスズキジェベル250XC

目的地のケープタウンは、予想外に高層ビルが建ち並ぶ、洗練された近代都市だった。そういえばアフリカだというのに乗った飛行機も、着いた空港も見かけるのはほとんどが白人だったなぁ。
さらにシャトルバスで予約していた安宿"キャット&ムースバックパッカーズ"のあるロングストリートに出ると、オシャレにペイントされた建物のバーやレストラン、旅行会社、ホステル等がズラリ。歩いている人も白人と黒人が半々位、なんだかアメリカみたいだ。

「かんいち、全然アフリカって感じがしないんだけど...」
「うん確かに、まさかここまでとは思わなかったよ」
想像していたアフリカとのギャップに戸惑うふたりであった。
荷物を部屋へ運んで、ひと段落。何気なく2階から中庭を覗くと、10月にブルガリアのソフィアで会ったバイカー"テンコー"がいるじゃないか。「おーい、元気か?」。4ヶ月ぶりの再会だ。彼はその後3ヶ月をかけバイクでアフリカ大陸を縦断、そしてついに大陸の南端であるケープタウンにたどり着いたのだ。


楽しい旅談義
偶然にも日本人&韓国人旅行者が10人も集まった。いずれも劣らぬつわもの旅行者ばかり、楽しい旅談義は尽きることはなかった

旅の無事を確かめるように握手。お互いよくもこんなに遠くまで来たものだとシミジミ思う。夕方にはやはりユーラシアとアフリカを横断してきたという和田くん(yoshi)も遊びに来て、宿はさらに賑やかになった。他にも日本人の大学生や中年女性なども泊まっていてビックリ。まさかケープタウンに日本人がたくさんいるとは思ってもいなかった。

ライダーのテンコーとyoshiはここが最終ゴール。みんなでお祝いに寿司を食べることにする。日本から来た初日にいきなり寿司かよ! と思わず突っ込みたくなる感じだが、お祝いなので今日はヨシとしよう。
「アフリカ縦断おめでとう! カンパ~イ!!」

ビールグラスがぶつかる音が店内に響き渡る。ふたりの長い旅はここで終わりを告げるが、僕たちのアフリカの旅はここが始まり。どんな出来事が待っているのか...

タウンシップツアー

集まってきた子供達
次々集まってきた子供達に囲まれてパニックになるかんいち。だがこの施設はとても仕付けが行き届いていてどの子も聞き分けがよかった

国際社会から非難された南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)は1991年に廃止された。しかし、タウンシップ(非白人移住地域)と呼ばれる地域はいまでも残っているという。出会った旅行者にそのタウンシップを訪れるツアーがあると聞いた僕たちは、いいチャンスと思い参加することにした。

朝早くツアーのミニバスが迎えにやってくる。メンバーは僕たちの他に日本人がひとり、そしてヨーロピアンが8人の計11人だ。博物館の次に訪れたのは、バラックが並ぶ貧しそうなエリアだった。広い庭にガレージがある豪邸に住んでいる白人たちとは雲泥の差。トタンやベニヤ板を重ねただけの簡素な小屋が、犇めくように並んでいる。小屋の前ではカラフルな洗濯物が風に揺れ、路地にガラクタが転がっている。


無邪気な子供の笑顔
いつもは汚れた大人ばかり(?)に囲まれているせいだろうか、無邪気な子供の笑顔に心が癒される

ガイドが案内に従い薄暗いバラックに入ると、そこはバーらしく(一見ただの小屋だが)、バケツいっぱいに入った自家製の発泡酒(?)がツアー客に振舞われた。端の人から順番にそのバケツを回して飲む。下戸の僕だが思い切って口をつけると、これが意外にもアルコール臭がなくて飲みやすい。(ヒロコはまずいと言っていたが...)

次に訪れたのが保育所。教室に入ると3、4歳児の子供達が50人位いて「抱っこして!」と叫びながらドドドッと集まってきた。「おおっ、なんだ、なんだ...」その迫力に圧倒されながらも、両手で体を抱えて持ち上げると、キャッキャ、キャッキャ大喜び。無垢な笑顔を見ていると嬉しくなり、調子に乗って子供たちをこれでもかと持ち上げる。しかし次から次に来るのでキリがない。


タウンシップで飲んだ発泡酒
タウンシップで飲んだ発泡酒は、臭みもなくおいしかった。やはり自家製は何でもおいしい

白い歯、大きな目、褐色の肌、屈託のない笑顔...無邪気な子供たちに囲まれているだけで幸せな気分になった。孤児だという子供達。この子供達が大人になっていまの社会を目の当たりにしたらどう感じるのだろう。いや、この子供達が大人になる頃にはいまとはまた違った社会になっているかもしれない。
僕たちがこの子供達の将来ためにできることは何だろう? 無邪気に走り回る子供達を見ながらそんなことを考える僕であった。

ルート = 日本/東京 → 南アフリカ/ケープタウン
取材・文/藤原かんいち&ヒロコ

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