BBB MAGAZINE

  • 藤原かんいち電動バイク世界一周

    2007.10.31 / Vol.05

    電動バイク世界一周の旅『 スー&ダニーとの再会 』

CREDIT

VOL.05 『 スー&ダニーとの再会 』[アメリカ大陸編]

藤原かんいちの冒険ツーリング

ザ・ウェザー・チャンネル

黄色い花が咲く草原
黄色い花が咲く草原を見つけ思わずバイクを止めた。東へ来るほど緑が豊かになる

毎日バイクで移動を続け、未知の土地を訪ね歩く。明日、自分たちがどんな風景の中にいて、どんな町のどんな宿で寝ているのかわからない、旅はとても刺激的なのものだ。

そんな旅だが3ヶ月も過ぎると知らぬ間に毎日の習慣になっていることがいくつかある。そのひとつが、毎晩毎朝のように見ているテレビ番組「ザ・ウェザー・チャンネル」。
車と違って全身が剥き出しのバイクの旅では天候によって予定が変わるし、またその日の天気によって旅の印象もガラッと変わるので、天気はとても重要なのだ。

このザ・ウェザー・チャンネルでは、アメリカ各地の天気予報を一日中放映しているのだが、毎日見ているので司会やレポーターの顔もすっかり覚え「おね~さんのシャツは派手だなぁ」とか「おじさん今日は笑顔が少ないけど、奥さんとケンカでもしたのかなぁ...」なんて、テレビに向かって突っ込みを入れるのも、いまでは日常的な風景だ。


自然が豊か
アメリカ西部に比べると景色もずいぶん変わった。自然が豊かだとココロが安らぐ

この番組を見ると日本と違ってアメリカは天気を表現する単語が多いことに気がつく。たとえば日本は基本的に晴れ、曇、雨、雪だが、アメリカはSUNNY(晴れ)、SHOWER(弱めの雨)、RAIN(雨)、CLOUDY(曇)以外に、THUNDERSTORM(雷を伴う嵐)やWINDY(強風)というのが、「晴れ」や「雨」と同じレベルで扱われている。

日本で、「今日の埼玉は強風」「明日の東京は雷」なんて予報は聞いたことない。でも、THUNDERSTORMになるとホントに空が真っ暗になり、雷があちこちで光り。WINDYの日には強風が一日中吹き荒れるのだから恐れ入る。また5月前後はTORNADO(竜巻)のニュースが頻繁に流れ、破壊された民家などが毎日流れていた。それが年間何百箇所で起こるというのだから驚く。不気味にうごめく竜巻がテレビ場面に大写しになるたびに、僕たちは「アメリカはとんでもないところだぁ!」と震え上がっていた。

とにかく、小さな島国の日本とは違って、広大な大陸のアメリカは、天気の変化もまた極端かつ大胆なのであった。

懐かしいハエ叩き

ポスト

テキサス州の北部を東へ向かう。コーン畑や牧草地が広がる大平原の中をひたすらパッソルを走らせる。
アマリロ、ウイッチタホール、シャーマンと通過、そしていよいよオクラホマ州入る。これで6つ目の州。国境と違って、いきなりガラッと変わることはないが(ハイウェイの舗装状況は州境を境に差が出る)、新しい州に入る度にワクワク胸が高鳴る。

それにしてもオクラホマ州から雨が多くなった。さすがに一日中というのはないが、乾燥した西部に比べると晴れの日でも雲は多く、湿度もグッと高くなりムシ暑くなった。同時にハエも増えた。

夕方モーテルに着いて部屋に入ると、ハエが必ず2,3匹ブ~ンと気持ちよさそうに飛び回っている。顔の周りをブンブンと纏わりつきうるさいので、受付に殺虫剤を借りに行くと、通じなかったのか、それとも使わないのか、昔懐かしい「ハエ叩き」が出てきた。


エリカスプリングス
古く町並みが残るエリカスプリングス。アメリカの魅力は大自然だけじゃない

それからしばらくは宿に着くと、まずはハエ叩きをブンブン振り回す、ハエとの格闘が毎日の日課となった。
オクラホマ州は3日で通過。次のアーカンソー州も3日で走りきる。これまでのカリフォルニア州やアリゾナ州、テキサス州など西部の州はどこも大きかったが、東側は面積が小さいので、あれよあれよという間に抜けてしまう。

これまでは、広い4車線やほとんど車が通らない平坦な道が多かったが、いまは路肩もなく狭い2車線。おまけに車もアップダウンも多いので、常に後続車を気にしなければならなかった。普通に走っているとすぐに渋滞ができるので、時々路肩の草むらや庭先にパッソルを移動させて後続車に道を譲った。神経も体力も消耗する道が続いた。

スー&ダニーとの再会

マジェスティとヒロコ
前を走るマジェスティとヒロコ。ヒロコは僕でも重いバイクをよく頑張って運転している

8州目となるミズーリ州の州境にある看板は、気にして見ていないと見逃してしまいそうなほど小さかった。しかし、ここでは一生忘れられない大きな再会が待っていた。

ミズーリ州に住むスーさん&ダニーさんのスマート夫婦と会ったのはいまから2ヶ月前のこと。そのときふたりは孫の卒業式でフェニックスへ行ったその帰り道だった。アリゾナのモーテルでパッソルを見つけ話しかけてきたハーレー乗りのマイクさんと、隣の部屋だったスマート夫婦となぜか仲良くなり、ビールを片手に5人で何時間もおしゃべりした。そのとき、近くへ来たら「電話をしてね」と奥さんから住所をもらっていたのだ。

「ずいぶん前のことだからなぁ...」と心配しながら電話をすると、嬉しいことに覚えていてくれた。そしてさらに、数日前にアリゾナのモーテルで撮った写真を日本へ送ったところだと聞いて、とても感激した。


イバンさん
パンク修理中の僕たちを助けてくれたイバンさん。みんなのおかげで旅は続いている

2ヶ月ぶりに会ったふたりは相変わらず仲がよさそうだった。案内されたふたりの自宅は静かな森にあった。聞くとふたりは70歳を過ぎておりすでにリタイヤ、周りの家も同じような人たちが住んでいるという。

家はいわゆるアメリカでは一般的なモービルハウス(トレーラーなどで移動できる簡易ハウス)で、さらにそこへふたりが手作りで部屋を増築したという。ふたりは狭いといいながら3LDKでバスルームが2つあるのだから、日本の家に比べればずっと広い。

ダニーさんに「明日はボートにでも乗ろうか?」と聞かれて「もちろん!」と応える僕たち。家から歩いて5分のところに湖があり、そこにボート置き場あった。3~40隻はあるだろうか、周りの人たちはほとんど持っているらしい。湖の上を流れる風は涼しくてとても気持ちよかった。湖の周りは緑がとても豊かで、キャンプ場やホテルがいくつもあった。またいつもは道の上を走っているので、流れる風景と風がとても新鮮だった。

おしゃべりの途中でふたりはダンスで知り合ったことがわかった。するとダニーが奥からビデオを引っ張り出してきた、何かと思ったら、80Sのディスコミュージックに合わせて、ふたりがダンスを踊っているビデオであった。そのときの顔がホントに楽しそうだった。きっと一生懸命練習をして踊った、ふたり自慢のビデオなのだろう。

奥さんのスーさんは料理が得意で、僕たちに毎日おいしい料理をご馳走してくれた。ミートソーススパゲティ、手作りサラダ、サンドイッチ、マフィンなど、炭焼きの分厚いステーキもアメリカに来て初めて食べた。おいしかった!


森の中を行くパッソル
森の中を行くパッソル。エンジン音がなくて静かなので鳥や虫の声が良く聞こえる

また、毎日近所の夫婦を招いてはおしゃべりに花を咲かせた。その度に旦那さんダニーさんが僕たちの旅や電気バイクのことなどを、事細かに説明するのが何だか面白かった。
滞在中はダニーさんが運転する車でいろんなところに連れて行ってもらった、展望台、ニジマスの養殖所、チャイニーズレストラン、ブランソンの町では一緒にショーも観た。

4日間はあっという間だった。まるで遠くから遊びに来た子供を迎えるように、温かく僕たちを迎えてくれたふたり。それは感謝の言葉をいくつ並べても足りないくらい、ありがたいことだった。そして僕たちのココロに一生残る、とても貴重な時間でもあった。

いつか、ふたりにも日本に遊びに来て欲しいと思う。そのときは僕が洋食を、ヒロコが日本料理を作ってご馳走しようと思っている。もちろんダニーさんには大好きなお酒を用意する予定だ。

フロンティアスピリッツ

セントルイスに到着
7月15日セントルイスに到着。僕たちのバックに見えているがゲートウェイアーチ

ミズーリ州を北東方向に横断、走り続けること6日間。ついに目標地のひとつであるセントルイスの町が見えてきた。ミシシッピー川沿いに広がるセントルイスは西部開拓時代、未知の大地へ向かう人たちにとって、夢と希望の入口の町だった。

そんなアメリカ人のフロンティアスピリッツを記念して建てられたのが、町のランドマーク「ゲートウェイアーチ」。そのゲートの頂上が展望台になっていると知り、僕たちは登ってみることにしたのだが、これが凄かった。

観覧車並みに狭く、窓もないエレベーターに5人も押し込まれ、ガタガタと登ってゆく。そして着いた展望台がこれまた幅が2m、長さは20m位だろうか、めちゃくちゃ狭かった。さらに窓が小さくて、高さは顔の大きさしかない。高所恐怖症で、閉所恐怖症気味の僕はダブルパンチで冷汗タラタラ。生きた気がしなかった。

しかし、眺めだけは抜群で、眼下に豊かな水量のミシシッピー川と、その向う側に広がる緑豊かなイリノイの大地を見渡すことができた。雄大な景色に感激する。
そして、僕はこの大陸の遥か東にあるニューヨークへ、思いを馳せた。

取材・文/藤原かんいち&ヒロコ (2004/08/05)

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